いつまで

「親を悲しませることだけはしたくない」もはやその一心だけでこのいのちは保たれている。自分の子供を失って悲しむ親の姿を見た。もうあんな思いはさせたくない。ただそれだけ。自分がそうなっても同じように悲しむかはわからないけれど。いくつになっても成長しない自分の精神とブスな外見中身に向き合うのにほんとうに疲れた。自分以外の人間はどうやって生きているんだ?あまりにも生きるのがへたすぎる。いつまで自分で自分の首絞めながら生きてるんだ?どこまで戻ればやりなおせる?やりなおせもしなければ戻れもしないけれどたらればに縋らないとわたしの精神は保たない、保つ必要もないかもしれないけど冒頭の一心のみでからだとこころがここにある。どこから間違った?早く楽になりたいよ

なれないのではなく、すでになっていた

わたしの人格形成におおきな影響を与えたアーティストのひとつにムックがある。中学1年生の時にリリースされた「赤盤・青盤」で彼らの存在を知り、「家路」と「スイミン」という曲に衝撃を覚えたのは昨日のことのよう。

 

中学1年生の時にリリースされたということは、つまりそれは今から18年前。先日リマスター版の葬ラ謳を聴き、やっぱ好きだな〜18年前からなんにも成長してねえなあ〜全然おとなになってないなあ〜と思ったあとにふと気づいた。

 

たぶん、12歳の時にすでに精神的には大人だったんだと思う。

これっぽっちも大人然とした精神が育たないなとずっと思っていたんだけど、そうじゃなくて人よりも早く育ちきっていただけだった。早くに育ちきってはいたものの、一般的な「子供として過ごせる子供時代」を過ごせていないのでちぐはぐなんだと。

 

メンタリティが中学生の時から変わらない理由がやっとわかった。変化するのが遅いんじゃなくて、あまりに早すぎた、だけのことなんだと思った。

なぜ、自分のチューニングしたい先が高校生のころなのか。その理由はわからなかった。

あのころの全能感。あのころのわたしはきっとなんにだってなれたし、なんだってできた。実際にはどうかはわからないけれど、根拠のない全能感に突き動かされて、ただただ、疾っていた。そう、なんにだってなれた、わたしは。

そのなんにだってなれた高校生のころのわたしが、いまのわたしを見たとしたら、なにを、思うだろう。きっと「いやおまえめちゃくちゃロックすぎん?やばいやろ」って言うとは思う。「バツ2?やべー」とか。あのころのわたしに恥ずかしい生き方はけっしてしていないはずなのだけれど、きっとなんにでもなれたであろうあなたを、殺してしまってごめんなさいという気持ちを、たまらなく、抱く。わたしのわずかばかりの可能性は18歳で途切れた。せめてそのころのあなたの残像を鮮やかなままにこれからを生きるため、高校時代の自分へチューニングしている。

30歳までに死にたいと思っていたのは正しかったよ。

そんなつもりはなかった

気がつけば2018年も8月で、8月も22日で、この夏は平成最後で、わたしは30歳へ残すところあと1ヶ月を切った。

 思えば「30歳までに死ぬ」ことが、中二病をこじらせたわたしの思春期におけるひとつの目標であった。今でこそ中二病と揶揄しているものの、当時はもちろん120%マジのマジだ。お付き合いしていた彼ピッピにも「絶対30歳までに死ぬ。」と120%マジでこぼしていた。その彼ピッピはものの半年で別れた(その後14年経過した今でも連絡が来るのはまた別のお話)。

 こんなはずではなかった。すべてがこんなはずではなかった。今までの人生における、かなり重要度の高い二者択一を迫られる場面で、98%の人間が選ばないであろう選択肢を選びここまで来てしまった。流し流され思えば遠くに来たもんだ(椎名林檎)。

 30歳。生まれてから30年経つにも関わらず未だにうまく生きることができない。使う化粧品はいつまでたってもCANMAKE。リップバーム580円。弟ばかり可愛がられ褒められることのなかった幼少期にいつまでもいつまでも思いを馳せている。母親に抱きしめてほしかったのに抱きしめられなかった幼少期のわたしをそのまま大きくなった29歳のわたしが抱きしめる。なにかが癒えるはずもない。2度結婚した。3度目の同棲。一緒にいた・いる男に、なにひとつ本当の意味で明け渡したことはない。今も昔も変わらずわたしはひとりなのだ。ひとりだと嘆けどもすべて自分が招いた結果。だとわかったふりをして30年やり過ごしてきた。もちろん貯金はない。預金残高は13万。「人生詰んだら死ねば良いから」と言い聞かせてここまで来た。この先どこまで行けるかわからないし、別に明日死んでしまったっていいというのが正直な感想。なお文頭に「別に」が付くときは、全く「別に」の要素は孕んでいない。

 そんなつもりはなかった。30歳になるつもりはなかった。

そんなつもりはなかった。こんなにどうしようもない人間になるつもりはなかった。

結婚してから妊娠、それとも妊娠してから結婚

タイトルはもちろん、ドキュメンタルシーズン5のロバート秋山より。

 

彼が友人から「彼女が妊娠したから結婚するわ」との報告を受けていた。彼はスピーカーフォンで通話していたため、わたしは先に寝ていたもののその言葉が聞こえた瞬間「人はこれほどまでに一瞬で起きることができるのか」の勢いで目覚めた上、変な汗が出た。

 「できちゃった婚」、それ自体が良いか悪いかはさておき、単語自体はもはや死語と化したと言っても過言ではないほどのナチュラルな現象になってきたのではないだろうか。むしろ"結婚してから妊娠"という順序を踏んでいる人を見かけると、マジの尊敬の念を抱く。

 

そうあれは10年前---まだデキ婚への風当たりが強い中、ダルビッシュ有紗栄子がデキ婚を発表したころわたしも妊娠が発覚していた。2008年の夏である。TVで会見を目にするたびに、なんとも言えない気まずさを覚えたのも昨日のことのよう。ちなみに出産が近づくにつれてビビり具合も増していき、最終的に「辻ちゃんでも産んだっちゃけんわたしにも産めるわ」と謎理論で己を鼓舞していたのも懐かしい話。そして辻ちゃんに大変失礼な話。

 

わたしの両親は小学校2年生に上がる前に父親の浮気により離婚し、その後は母の実家で祖父母と暮らした。母はわたしが寝てから帰宅し、起きる前に仕事に出る生活。5年生のときには4つ下の弟を交通事故で亡くした。祖母は父親似のわたしよりも母親似の弟の方を可愛がっていたため、わたしが死ねばよかったのにと心底思いながら過ごしてきた。母親がこんなに長時間働かなければいけないのならわたしなんていないほうがいい、と心底思いながら過ごしてきた。そのため自己評価がたいへん低く自己肯定感もまるでない。インターネット上の姓名判断ではどれを試しても「家族縁が薄い」という結果をもれなく頂戴する。家族に対する憧れや執着が尋常ではなかった。家族そろって食卓を囲むことが、ほんとうに夢だった。

 

妊娠がわかった時は、もちろん全く喜べなかった。短大に入学して半年も経っていないクソのような、もしくはクソそのものの18歳ですから、そりゃあまだ普通に遊びたいしという感情が8割以上を占める。しかしながらその反面、「自分の理想の家庭が築けるかもしれない」と思った。弟を亡くした経験から「自分と血の繋がっているいのちを失うのはもうごめんだ」とも思った。その時は本当にそう思っていた。だから産むことに決めた。

 

 10年経った今ならわかる。上に並べた感情は建前でしかないことが。ただひたすらに、自己保身でしかなかったのだ。誰だって人殺したくないでしょ。そして結論から言うと、自分が知らないものを築くことはできなかった。「家庭」というものがなんなのか、今でもよくわからない。堕胎は責められがちであるし、堕胎した本人もその事実を一生背負いながらその先の人生を歩んでいくのだろう。でも、綺麗事を並べて産む判断をするよりもずっとずっと勇気の必要なことだと思う。わたしにはできなかった。もう、大変に情けないのだけれど、わたしはわたし1人で生きるだけで精一杯になる程度のキャパシティしか持ち合わせていなかった。親らしいことを、なにひとつできていない。

 

結婚してから妊娠だろうが妊娠してから結婚だろうが、当人たちがしあわせならそれでいいし、しあわせだったとしてもそのしあわせがずっと続くかどうかなんて分からないし、表向きしあわせそうに見えたってフタ開けてみりゃ当人たちは泥沼かもしれないし、どの選択が正しいとか正しくないとか間違ってるとか間違っていないとかではないし、そもそもそんなことは死ぬ間際に人生を総括できた場合にしか判断できないだろうし、妊娠したから産むっていう選択がすべてではないし、産まない選択が悪とされるべきではない。妊娠したからって結婚しなくたっていいんだよ、って思った話。

 

(オンナ作って離婚した父親は今や4児の父。家族・家庭がなんなのかいよいよわからない。そして腹違いの弟たちはわたしの存在を知らないらしい。修羅みあるわ〜)

なんだかんだ結婚したい人の方が多いでしょ

今から5年前、「25歳バツ2子持ち」という、自分の中ではかなりインパクトがある肩書きを持つことになってしまった。平成30年を迎え「30歳バツ2子持ち」と、ややマイルドな字面にはなってきた。

 

1度目の結婚は19歳。2度目の結婚は24歳。1度目は誰がどう見ても「早い」。2度目は「今の時代だとちょっと早いけど、まあ妥当」という時期だったと思う。高校の卒業文集でありがちな"○○な人ランキング"の中の"一生独身でいそうな人ランキング"で3位以内入賞を見事おさめたわたしは、同級生の中で誰よりも早く結婚し子供を設け、誰よりも早く離婚した。誰も予想していなかっただろう。わたしも予想していない。生き急いでいるにもほどがある。そして2度目の離婚を終えた頃、我々の世代は結婚・出産ラッシュに入ったため不本意ながら疎外感がすごい。2度結婚していたにも関わらず、結局アラサー未婚女の完成である。

 

わたしがよく使う言葉に「いや〜わたしが2回結婚したんだから誰だって結婚できるよ」がある。我ながら本当にその通りだと思う。誰だってできる。結婚したい人間が結婚するには「なんかよくわかっていない若いうちに半ば勢いで結婚する」か、「社会経験をある程度積んだ30歳前後で結婚する」の2択だと思う。

 

前者の場合は、なんかよくわかっていないため本当に勢いで結婚できる。嫁姑問題もなんのそのである。ただひたすらに若さである。もちろんポジティブな意味で。ただ、年を重ねて、見聞も視野も広がり思考力や判断力が伸びてきたときに見える景色が変わることもあると思う。その見える景色が変わったときに、たとえ目を背けたくなったとしても、ぐっとこらえることのできる力が必要になる。

 

後者の場合は、広がった視野と見聞、伸びた思考力や判断力をもってして相手を選ぶことができる。が、そのぶん相手や相手の家族に求めるものも多くなっているだろうし、その求めるレベルも高くなるだろう。原住民並みの視力を手にいれながらも、細かいことはあえて見ないようにというか、見たがることはしてはいけないと思う。もしくは、見た・見えてしまったとしても見えなかった体でいられればハッピーなのではないだろうか。つまり妥協である。もちろんポジティブな意味で。

 

結論、どっちもどっち。結婚したいなら、できるときにしとけ。みんなちがってみんないい。

 

結婚は、その大変さを大変だと思わない人、大変さや手間も愛おしいと思える人しか続けられないと思う。結婚はゴールじゃなくてスタートだというのはよくいったもの。結婚しないという選択がかつてよりも認められている今、結婚しない選択も賢い。別に結婚したところでその後がずっと約束されるわけでもない。永遠はない。いや、あるかもしれないけれどわたしのところにはいまのところない。

 

自分の人生なのだから、自分が一番快適で心地よく日々を送れる選択を。

 

30歳バツ2子持ちは懲りずに3回目のお嫁さんを夢見ている。別に懲りていないわけではないのだけれど、アホなので単純に懲りたことを忘れている。「3度目の正直」なのか「2度あることは3度ある」なのか。普通であれば尻込みするであろう決断を「どっちやねんw」ぐらいのノリで突っ込むので派手に爆発四散する。その向こう見ずなアホな感じが自分のいいところだと思っているので、世間的にはアウトであろうともこれで良いということにしている。

家事との親和性が絶望的にない

2度結婚し3度目の共同生活をしているにも関わらず、どうにも家事を好きになれない。

 

気がつけば、初めて「主婦」と呼ばれるものになってから早くも11年が経っており、なんとも気が遠くなった。11年も経つのに家事スキル(もはや家事と呼ぶことすらもおこがましい)が、これっぽっちも上がっていないのだ。家事というよりも、「めんどくさいことが嫌い」なので好きになれるはずもない。加えて「めんどくさいことが嫌い」なのに「部屋が散乱していることも嫌い」なので、「どっちかにしろよ」という感想しかない。

 

今は「結婚してるわけでもないし、なぜ家のことをすべて請け負わなければならないのか」と思いながら家のあれこれをしているけれど、結婚したところでこの意識は「養ってもらっているわけでもないし何で家のことを(ry」にマイナーチェンジするだけなのは火を見るよりも明らか。それどころか結婚していたときも「なんで自分ばっかり」という意識が1mmも拭えませんでしたから何の期待もできません。

 

「めんどくさい」よりも「部屋が散乱していることが嫌」のほうが上回っているので、半べそかきながら家のことをやっているわけである。その真っ只中に「機嫌悪いですね」と言われても「そりゃそうだ」としか言えない。言わないけど。何もしない彼にイラッと来るのは毎日のこと。でも、義務感にボコボコにされながらとはいえ自分の意思でやっていることに変わりはないので、彼に腹を立てるのはお門違い。やりたくないのであればやらなきゃいいだけの話。「やってほしいナ〜♡」だなんてお伺い立てるのは死んでも嫌だし、そもそもそんなキャラでもないし、もう一切やらなくていいから、その日1日のタスクを滞りなく消化することができたらめちゃくちゃに褒めてくれ。それだけでいい。むしろそれがいい。

 

彼が「手は出さないが口は出す」タイプではないことが、ほぼほぼ唯一の救い。人と生活するということは、わたしにはほんとうに難しい。