結婚してから妊娠、それとも妊娠してから結婚

タイトルはもちろん、ドキュメンタルシーズン5のロバート秋山より。

 

彼が友人から「彼女が妊娠したから結婚するわ」との報告を受けていた。彼はスピーカーフォンで通話していたため、わたしは先に寝ていたもののその言葉が聞こえた瞬間「人はこれほどまでに一瞬で起きることができるのか」の勢いで目覚めた上、変な汗が出た。

 「できちゃった婚」、それ自体が良いか悪いかはさておき、単語自体はもはや死語と化したと言っても過言ではないほどのナチュラルな現象になってきたのではないだろうか。むしろ"結婚してから妊娠"という順序を踏んでいる人を見かけると、マジの尊敬の念を抱く。

 

そうあれは10年前---まだデキ婚への風当たりが強い中、ダルビッシュ有紗栄子がデキ婚を発表したころわたしも妊娠が発覚していた。2008年の夏である。TVで会見を目にするたびに、なんとも言えない気まずさを覚えたのも昨日のことのよう。ちなみに出産が近づくにつれてビビり具合も増していき、最終的に「辻ちゃんでも産んだっちゃけんわたしにも産めるわ」と謎理論で己を鼓舞していたのも懐かしい話。そして辻ちゃんに大変失礼な話。

 

わたしの両親は小学校2年生に上がる前に父親の浮気により離婚し、その後は母の実家で祖父母と暮らした。母はわたしが寝てから帰宅し、起きる前に仕事に出る生活。5年生のときには4つ下の弟を交通事故で亡くした。祖母は父親似のわたしよりも母親似の弟の方を可愛がっていたため、わたしが死ねばよかったのにと心底思いながら過ごしてきた。母親がこんなに長時間働かなければいけないのならわたしなんていないほうがいい、と心底思いながら過ごしてきた。そのため自己評価がたいへん低く自己肯定感もまるでない。インターネット上の姓名判断ではどれを試しても「家族縁が薄い」という結果をもれなく頂戴する。家族に対する憧れや執着が尋常ではなかった。家族そろって食卓を囲むことが、ほんとうに夢だった。

 

妊娠がわかった時は、もちろん全く喜べなかった。短大に入学して半年も経っていないクソのような、もしくはクソそのものの18歳ですから、そりゃあまだ普通に遊びたいしという感情が8割以上を占める。しかしながらその反面、「自分の理想の家庭が築けるかもしれない」と思った。弟を亡くした経験から「自分と血の繋がっているいのちを失うのはもうごめんだ」とも思った。その時は本当にそう思っていた。だから産むことに決めた。

 

 10年経った今ならわかる。上に並べた感情は建前でしかないことが。ただひたすらに、自己保身でしかなかったのだ。誰だって人殺したくないでしょ。そして結論から言うと、自分が知らないものを築くことはできなかった。「家庭」というものがなんなのか、今でもよくわからない。堕胎は責められがちであるし、堕胎した本人もその事実を一生背負いながらその先の人生を歩んでいくのだろう。でも、綺麗事を並べて産む判断をするよりもずっとずっと勇気の必要なことだと思う。わたしにはできなかった。もう、大変に情けないのだけれど、わたしはわたし1人で生きるだけで精一杯になる程度のキャパシティしか持ち合わせていなかった。親らしいことを、なにひとつできていない。

 

結婚してから妊娠だろうが妊娠してから結婚だろうが、当人たちがしあわせならそれでいいし、しあわせだったとしてもそのしあわせがずっと続くかどうかなんて分からないし、表向きしあわせそうに見えたってフタ開けてみりゃ当人たちは泥沼かもしれないし、どの選択が正しいとか正しくないとか間違ってるとか間違っていないとかではないし、そもそもそんなことは死ぬ間際に人生を総括できた場合にしか判断できないだろうし、妊娠したから産むっていう選択がすべてではないし、産まない選択が悪とされるべきではない。妊娠したからって結婚しなくたっていいんだよ、って思った話。

 

(オンナ作って離婚した父親は今や4児の父。家族・家庭がなんなのかいよいよわからない。そして腹違いの弟たちはわたしの存在を知らないらしい。修羅みあるわ〜)